作品の初期設定が発表された時、プリキュア四人の「スペックの高さ」がよく話題になりました。
なにしろ、生徒会長・全国クラスの優等生・巨大財閥の令嬢・国民的アイドルの四人でプリキュアをやる、という設定だったからです。
「5」以降のシリーズでは、一人くらいは、「普通の子」が混じっていました。そこに位置づけられたのが、このシリーズでは「生徒会長」のマナだったわけです。
また、過去にも富豪の娘や芸能人のプリキュアはいました。しかしながら、ありす・真琴の富豪ぶりや芸能活動のスケールの大きさは、過去にないものでした。
その事前に明かされていた「スペック」のみならず、実際のキャラクターの印象強さも過去にないものがありました。
特に、第2話から4話にかけて描かれた、六花・ありすの描写は、事前発表から得ていた印象を大きく凌駕するものでした。
六花のプリキュアになった理由は「マナを助けるため」だけでした。人類の危機とか、トランプ王国の復興など、関係ないわけです。
そのキャラクターはブレる事が一切ありませんでした。途中、第10話で真琴が転校してきた時の、彼女の心理描写は強く心に残っています。あの話を見ていた時は、今回プシュケーを取られるのは彼女なのか、と本気で心配したものでした。
その後、「マナ独占」はとりあえず諦めたものの、基本的な考えは一切変わりませんでした。実質的に最後の戦闘となったラス前の話でも、マナの事だけを案じていたほどでした。
それだけ強く想われていたマナですが、第1話ではその「世話やきぶり」を存分に描かれていました。
ところが、その後の話では、そこそこ抜けている所も多く、そのたびに「六花さまぁ」と泣きついている様が描かれていました。
プリキュアとしても、かなり強引にかつ無茶苦茶に近い論法で「リーダーシップ」を発揮していました。
あれなども、六花のサポートが前提としてあったのでしょう。
それを含め、この「幸せの王子とツバメ」のコンビは絶妙でした。
この作品により、あの童話における「ツバメの重要性」を改めて理解できたほどでした。
他に、六花と言えば、「カエル好き」という設定も徹底して描かれ続けていました。
その理由は明かされる事はありませんが、細かい所を含め、様々なところにカエルが描かれていました。
これも、彼女の個性をさらに深く描いていると思い、関心しました。
また、ありすの「デビュー」も強烈でした。小学生時代のクラスメートでお嬢様、という設定なら、マナや六花に守られていたと想像するのが普通です。
しかしながら、その小学生時代に、マナを泣かせた怒りで、不良中学生を素手でやっつけてしまった、という過去がいきなり明かされました。
そして、その普段封じているその力が暴走することをおそれ、プリキュアにはならず、プロデューサーとして幼なじみ二人を支援したい、というものの考え方も凄いと思いました。
また、「財閥の令嬢」という設定も非常によく使われていました。マナのプリキュア変身映像について語った「クシャポイ」という言葉、並びにそこで行った事のスケールの大きさは、彼女の持つ権力の強さを、一瞬で伝えていたと思いました。
その三人に比べれば、真琴はちょっと中盤以降、霞んだ感じがしました。
初期設定の「トランプ王国滅亡の中、最後まで戦い続けた戦士かつ歌姫で、こちらの世界に来たら一躍国民的アイドル」という設定が盛り込み過ぎかつ「完璧超人」過ぎたのでは、と思います。
しかも、それを緩和するために、「こちらの世界の常識が分からないでボケをかます」という設定を加えたら、それが「キャラ立ち」してしまい、一気に「へっぽこキャラ」になってしまいました。
もっといい描き方があったのでは、とも思いました。まあ、それだけ他のキャラが強かった、という事もあるのでしょう。
また、今シリーズでは、従来のパターンを踏襲しつつ、その上をいくような斬新な設定・展開が多々ありました。
特に、中盤に登場したレジーナは、「敵のボス・キングジコチューの娘」であるにも関わらず、マナの事が好きになり「猛アタック」をします。
過去、敵として出てきたキャラが、正体を隠して接触したプリキュアやその家族の人間性に惹かれ、やがては味方になる、というキャラは何人かいました。
それに対し、レジーナは、普通に敵としてプリキュアを襲撃し続けながら、その正体を隠さずにマナに接近しました。
そして、「マナを独り占めしたい」という理由で、他のプリキュアに攻撃をしかける、などという、シリーズ初の事まで行っていました。
その奔放かつ、一途なキャラ設定とあわせ、非常に印象深いキャラとなりました。
さらに面白かったのが、一度キングジコチューに「勘当」されて、こちらの世界に来た時の心理描写でした。
大好きなマナと楽しい時間を過ごし、さらには他のプリキュアとも仲良く遊びます。
しかしながら、その間、常に彼女の心には違和感がありました。
プリキュア側に行っても、レジーナはキングジコチューに対する愛情を持ち続けています。それが、今の状況を心底楽しめない理由になっています。
いわば、ジコチューとしての「良心」が痛んだわけです。そして、キングジコチューに連れ戻され、ジャネジーを与えられた事によって、その「良心(?)の痛みが」なくなります。その結果、晴れ晴れした表情を見せました。
そうやって、あっさりと味方にはならかった事、さらに再登場時も敵のままなのに相変わらずマナは好き、という形にしたのも上手いと思いました。
他にも、イーラとマーモが、最後まで生きながらえ、「改心」もせずに去っていったこと。1月の最終決戦を単なる闘いにだけにせず、色々なキャラ描写を盛り込んだ、というのも面白いと思いました。
さらに、ラス前の話で対キングジコチューの最終兵器として「巨大ランス」を出した時は、心底感心させられました。
このように、いい意味での「パターン破り」がいくつもありました。おかげで、数年ぶりに、1月のプリキュアを大いに満喫することができました。
シリーズ全体を見ても、映画放映前は例年のように残念な話が少なからずありました。
さらに映画も自分の好みにあわず、この時点では、昨年同様、秋以降は失速するのだろうか、と不安でした。
しかしながら、それ以降、色々な仕掛けも用意し、後半もかなり盛り上がったと思っています。
また、脇役では、セバスチャンとダビィ(DB)が非常に光っていました。この「大人キャラ」二人が、話に色々と面白さを加えていたと思います。
特に、セバスチャンがメインとなった第25話は、彼の「忠誠心」が存分に描かれた傑作でした。
また、人間の姿になったダビィが、マネージャーとして、かつ人生の先輩として、真琴に細かく気遣う描写も、非常に印象に残りました。
あともう一人、ジコチューを演じた岩崎さんの名演技も忘れれれません。
今回、「真のラスボス」であるプロトジコチューも演じましたが、その「大トリ」をやるにふさわしい活躍をされたと思っています。
そして、今シリーズで忘れられないのは、漫画版の存在です。
例年、質の高い話を描いていたのですが、今年は、特にインパクトの強い話を連発していました。
放映直後に発売された単行本から、作者の上北さんの意気込みが伝わってきました。
例年、この時期に出る単行本には前作の「最終回」が描きおろされます。しかし、今回は、それをせず、「ドキドキ」の描きおろしが掲載されました。
そして、そこで「主役」となった、ありすの描写が秀逸でした。
さらに、6月号では、アニメ10話の六花の「嫉妬」をより深く面白く描いていました。
また、10月号において、背伸びする亜久里の心情を見抜いて、優しく気遣った、ありすの描写も忘れられません。
他の話でも、上北さんの「プリキュアたちをの人となりを描きたい」という意思がよく伝わってきました。
そういう事もあり、今回の漫画は、例年に比べ、非常に戦闘シーンが減っていました。同時に、プリキュアに変身する場面も、かなり減っていました。
勿体無かった点や残念な点もいくつかはありました。
しかしながら、その強烈なキャラ描写、独特の設定・展開、細かく丁寧な描写、そして秀逸すぎる漫画版により、非常に楽しむことのできた一年となりました。
アニメスタッフおよび上北さんには、本当に感謝しています。