最後の「みゆき回」でした。話の主題は、みゆきが幼少時、一時的に祖母の家で暮らしていた時に経験した不思議な出来事と、それをきっかけに「ウルトラハッピー」を求めるようになった、という事でした。
率直に言って、なぜこのような話を、しかもこの時期に作ったのか、まったくもって理解できませんでした。
話は、五人で約束していた買い物の待ち合わせに、みゆきが遅れて来る所から始まります。そこで、みゆきは転んで母娘連れに助けられるのですが、その娘が胸につけていた鏡を見て、幼少時の事を思い出します。
そこから、みゆきが四人に、幼少時代の思い出を話す、という形で話は進んでいきます。
周りに誰も知り合いがいない、祖母の家で暮らしていた、という事もあり、みゆきには友達がいません。道を歩いていて見かけた、ままごとをやっている子どもたちに興味を示しますが、彼女たちに声をかけられると、逆に逃げ出してしまうほどです。
ところが、そんな中、森の中に一人でいると、同世代の少女から声をかけられます。そして、友達となった二人は、毎日のように遊びます。それが嬉しい、みゆきは、彼女との日々を元に、自作の絵本を作ります。
それを彼女に見せようと外に出ると、先日逃げ出した、ままごとをやっていた三人組と出会います。みゆきは、また逃げようとしますが、耳元でその友人が励ます声が聞こえました。そこで、勇気をもって話しかけ、三人と友達になります。
しかしながら、それを最後に、森にいた友達と会うことがなくなりました。そして、祖母も新たに出来た三人の友達も、彼女の事を知らない、と言う、という不思議な形で回想が終わりました。
その話をした後、みゆきは、四人の名前を呼びます。そして皆が返事すると、「呼んでみただけ」と言って笑います。
それを聞いた四人は、不思議がり、やよいは「みゆきちゃん、変」と突っ込みます。すると、キャンディが「みゆきはいつも変クル」と言って皆で笑います。
その後、先程転んだ時に助けてくれた少女が迷子となって再び現れます。みゆきがその子のそばにいて、四人が親を探している時に、ウルフルンが現れました。
他のふたりともども、ジョーカーに粛清を示唆されていましたが、別に制裁を受けたわけでなく、単にバッドエンド王国本部への出入りを禁じられていただけだったようです。
そして、最後に残った黒っ鼻を使って、みゆきを標的として行動を起こしました。
一人で闘う、みゆきに対し、ウルフルンは「お前に会ってから俺の中の何かがおかしくなった」などと、3年前のイースみたいな事を言い始めます。その後も敵対的な言葉はいうものの、「その真っ直ぐな目で俺を見るな」などと、フラグが立ったような台詞を連発します。
その後は、今のシリーズの定番である、必殺技のアルティメットバージョンである「ハッピーシャワーシャイニング」を放ち、続いて駆けつけた四人とともに、プリンセスモードとなってロイヤルレインボーバーストでとどめを刺しました。
闘いが終わり、四人と喜び合うなか、みゆきの独白が流れ、話が終わりました。
主題は、引っ込み思案だった幼少時の、みゆきが、不思議な出会いがきっかけで、「ウルトラハッピー」を探す、明るい子になった、という事のように思われます。
しかしながら、その体験というのが不可解すぎます。
普通に考えれば、彼女は、みゆきが頭の中で生み出した「見えない友達」だったと解釈するべきでしょう。
また、みゆきが遊んだ記憶があるのに、村の人が誰も覚えていない、というのが事実となると、彼女は最後に、みゆきと遊んだ直後に、因果律に対する反逆とも言える超弩級の願いをかなえ、その結果、別の次元にシフトしてしまった魔法少女である、という可能性も考えられます。
もちろん、河童や天狗のいる村での出来事ですから、みゆきの想像通り、鏡の妖精だったのかもしれません。
しかしながら、それに対する作り手によるヒントは視聴者には与えられません。したがって、見ていて、何を描きたいのか、まったくもって分かりませんでした。
そして最後の、「みゆきが到達した『ウルトラハッピー』の解釈」についても、今ひとつ共感が持てませんでした。
もちろん、「人を思いやる心」は大切なものですし、それが「ウルトラハッピー」である、という事を否定する気はありません。
しかしながら、それを語り出すのが唐突すぎるうえに、言い回しに教訓的な雰囲気が漂っており、違和感がぬぐえませんでした。
このように、話の大半を占めた部分は、かなり残念でした。また、作画についても、かなり無理を感じる部分があり、残念さを感じられました。
しかしながら、五人が街で買い物を楽しんでいる描写は、見ていて暖かい気分になりました。
特に、みゆきが四人に声をかけ、「呼んでみただけ」とふざけながら、一緒にいられる幸せを噛み締めている場面は印象に残りました。
改めて、この五人は、お互いと一緒にいる事ができる時間を、心から楽しみ、幸せに思っているんだな、と思いました。
話のほうはあと一ヶ月ちょっとで終わります。でも、この五人はその後もこのように、一緒に楽しんだり、喜んだり、助けあったりするのでしょう。
そのような未来を想像して嬉しい気分になったのと同時に、それを見ることができない、という事に寂しさを感じました。
ここ六話ほど、五人の中から一人だけを「主役」にする話が続きました。シリーズを終えるにあたり、スタッフから五人への「お別れの挨拶」を意味している部分もあるのでしょう。
極めて画期的であると同時に、作り手の愛情を感じる事ができた企画でした。
しかしながら、結果的に成功したとは言えないのでは、と思いました。むしろ、一人のキャラに特化しすぎた結果、本シリーズの特徴である、五人のある意味閉鎖的とまで言えるほどの仲の良さ、というものを活かせなかったのでは、と思っています。特に今回および、やよい話・れいか話はその印象が強く残りました。
結果論ですが、メインキャラ一人の話にはせず、もう一人の準メインキャラを設定し、その二人を軸に話を作る、といった方式のほうが良かったのでは、とも思いました。
次回は、題名の通り「終わりの始まり」となります。おそらくあと4話のうち9割弱は、戦闘に明け暮れる事になるのでしょう。
それは仕方ないと割り切っています。とはいえ、その中で少しでも、各キャラクターの良さを描いてほしいものだと思っています。