「ヒーリングっどプリキュア」論 一般編

 「ヒーリングっどプリキュア」は自分にとって忘れられない名作となりました。
 正直、ここ数年ほどは、「プリキュアは長年蓄積したブランドを使って安定した視聴者層に支えられる分野で、新たな進歩は期待できないのでは」とまで思っていました。
 そのような自分の考えが完全に誤りであった事を明らかにしてくれた、プリキュア史のみならず、自分にとってのアニメ史に残る名作になりました。
 プリキュアは2015年の「プリンセス」以降、「テーマ」を作り、それにあわせた設定・話作りをするようになりました。
 それはそれで興味深いものもありましたが、「テーマ」に振り回されて、プリキュアそのものの面白さが描かれなかった作品もあった、という不満感が少なからずありました。

 そんななか、この「ヒーリングっどプリキュア」は「テーマ」を「地球環境を守る」に設定しました。
 これは、プリキュアのみならず、さまざまな「悪と闘う正義の味方」に共通するテーマです。
 それにより、「テーマしばり」から自由になった、というのがまず凄いと思いました。
 それによって、最も強調されたのが、「ヒーリングアニマルとの関係」でした。
 「ふたりはプリキュア」の時代は、プリキュア一人につき、「妖精」がパートナーになるのがデフォルトでした。
 しかし、それ以降は、「ドキドキプリキュア」を除けば、プリキュアと「妖精」が一対一になる事はなくなりました。
 ところが、この「ヒーリングっどプリキュア」は、プリキュアとヒーリングアニマル(妖精)を一対一にし、しかも、その関係をシリーズの主題の一つに据えたのです。
 それが伝わったのが第2話でした。
 最初のプリキュアになった花寺のどかが、すこやか中学校に転入し、いくつかの運動部に体験入部します。
 しかし、病み上がりで体の動かし方を忘れていた花寺のどかは失敗続きでした。
 それを見たラビリンは、このままプリキュアを続けたら、運動能力の低い花寺のどかに迷惑がかかる、と思い、プリキュア解消を提案します。
 20年近いプリキュアの歴史において、「妖精」は常に、プリキュアの活躍を願っていました。それだけに、花寺のどかを心配し、プリキュア解消を主張する、というラビリンの描写は、これまでのシリーズにない新鮮さがありました。
 この「プリキュアとヒーリングアニマルの関係」は前期エンディングでも徹底されています。この歌は、プリキュアとヒーリングアニマルの関係を唄っていました。二番では「受け取った勇気にお返ししたいな」という、終盤で描かれたペギタンの沢泉ちゆに対する心境がそのまま歌詞になっています。
 平光ひなたの描写でも、重要なところでニャトランとの関係が描かれていました。
 もうひとつ、強く心に残ったには、メインである「主役プリキュア」の「定番台詞」です。美墨なぎさの「ぶっちゃけありえない」にはじまり、かならず、「主役プリキュア」にはこの設定がありました。
 ところが、花寺のどかのそれは、「ふわあ」という感嘆詞と「生きてるって感じ」という病み上がりならではの気分を語ったものでした。
 前者は適宜使われましたが、むしろ目立ったのは花寺のどかが随所で発した「エヘヘ」という笑い声のほうが目立つくらい、存在感がありませんでした。
 後者の「生きてるって感じ」は、最終回のラストへの伏線、という深い設定がありました。とはいえ、この「定番セリフ」を薄めた、というのも、これまでにない描写でした。
 そして、それによって、花寺のどかの台詞の自由度が大幅に高まったと思っています。

 あと、あまり目立たなかったのですが、このシリーズの戦闘と命に考え方は、これまでのプリキュアシリーズとは異なるものでした。
 プリキュアは時には激しい戦闘をするのですが、それが命に関わる、という表現はこれまでありませんでした。
 ところが、本作第11話では、ダメージを受けた花寺のどかがなかなか意識を取り戻さないの状況を見た平光ひなたが、死んだのでは、と心配していました。
 その恐怖感が、第13話でのプリキュア引退を示唆する発言につながったわけです。
 さらにそれが強調されたのが、ダルイゼンにメガパーツを打ち込まれ、再び病床についた花寺のどかの描写でした。
 プリキュアを含む人間にも、命の失う危機がある、という世界観をしっかり描いた事により、主題である「地球の危機」の深みがより増したと思っています。
 そして、その世界観を丁寧に描いた事により、あの42話における「ダルイゼンを助けなかった」という話が必然的になっています。
 これまでのシリーズだったら、それまでの悪行はノーカウントにして「改心」させていたでしょう。しかしながら、これまで死生観をしっかり描いてきたため、もしここでダルイゼンを助けたら(=自分の体の中に取り込んだら)、花寺のどかの命が危なくなる、という事が前提になったわけです。
 一度は、感情に流されて迷った花寺のどかが、ラビリンとの話し合いでその決意を固める、というところも含め、これまで積み重ねてきた設定が結実した、極めて心に残る話になりました。
 その点でも、本当に深みのあるシリーズだったと思っています。

 先程、主題を「地球環境」にした事により、それに振り回される事がなかったのが良かった、と書きました。
 しかし、一方で、この「地球環境」という主題について、いくつかの話で、非常に深く描いていました。
 特に最終回では、人間も地球環境を壊しており、もし地球を蝕むような存在になったら「浄化対象」になる、とテアティーヌが明言しています。
 地球環境を語るのに、この事を避けて通ることはできません。それをしっかりと描いた事にも感心させられました。
 ではどうすればいいのか、という事のヒントが第14話で描かれています。
 「すこやかまんじゅう」本舗の蒸し器が壊れると、周囲の店が、自分の儲けを度外視して、「すこやかまんじゅう」を作るために力を貸し、その結果、多くの人達が幸せになります。
 最終回と合わせると、金儲け優先で地球環境を破壊し続けてきた人類がどんな切り替えを行うべきか、が非常によく伝わってきます。
 人類が「地球を蝕む存在」にならないために、どうすればいいか、という深い所まで描いた事に、本当に感服しています。
 主題に振り回されることなく、それをとことん描ききったシリーズでした。

もう一つ、このシリーズの際立った特徴に、キャラクターを描ききった、という事があります。
 沢泉ちゆですと、頭の良さ、大人顔負けの物腰、走り高跳びの技術、家業への想い、笑い上戸などの設定をたびごとに描いていました。
 最終回でも「ちゆ回」であるかのように、彼女の特徴を描くことに力を入れていました。
 平光ひなたにおいても、ファッションセンスの良さ、頭の回転の速さと対象的に深刻に考え込む癖、家族への誇りと劣等感、独特の言語センスなどをこれまた、様々な場面で描いていました。
 特に、第43話の最終決戦での、無双モードになったシンドイーネを得意の機転で倒すきっかけを作った、という描写には本当に感心させられました。
 花寺のどかは、序盤は「病み上がり」がキャラの中心で、それが解消された14話以降、今ひとつ存在感が薄く感じた時期もありました。
 しかし、開始当初からの、ちょっとズレたり抜けたりと、さりげなくギャグをかます一方で、芯の強さについても、様々なところで描かれ続けました。
 そして終盤における、ダルイゼンの懇願をはねのけたり、キングビョーゲンに正面から言い返したところに通じていました。
 だからこそ、最後の最後で、それまでと一字だけ変えて『生きてくって感じ」と言えたのだと思っています。
 そして、その三人の関係性の描き方も色々と楽しめました。
 特に、プリキュアがきっかけで知り合った三人がギクシャクしながら少しずつ仲が良くなっていく過程を描いた序盤は印象に残っています。
 一方、追加プリキュアの風鈴アスミですが、この三人のバランスを崩さない形でつきあわせる、という感じでした。
 それもあって、外見年齢を上げて、学校には入れず、すこやかまんじゅうで働く、という設定にしたと思われます。
 そのあたりのバランス感覚も上手いと思っています。

延々と書きましたが、派手な要素はないものの、着実にキャラを描き、設定を練り、話を作っていったのが、この名作を生んだ要因だと思います。
 もちろん、それに応えた演技を見せた声優さんたち、作画の方々の力も大きかったと思います。
 その結果、このような作品を楽しむことができた事を、本当に感謝しています。