Suite第7話

 ピアノの練習をしながら喧嘩している響と奏を見た、パイプオルガン技術者の老人・音吉が、自分の大切な物をわざと忘れ、それを二人に届けさせる事によって、友情を育ませる、という筋立てでした。
 一番面白いと思ったのは、転んで足を挫いたら、当然のように響に「おんぶして!」と要求した奏の描写でした。しっかり者ですが、いざという時は響に甘える、という面白い一面が描けていたと思います。
 あと、最後の部分で、夜に懐中電灯で会話(?)している二人の描写も印象に残りました。
 以上の二点は良かったと思いましたが、それ以外は違和感のかたまりみたいな話でした。というわけで、今回の話が面白いと思った人は、この続きを読まないことをお勧めします。

 まず、何よりも、今回の主題である、音吉の行動が理解不能でした。確かに、加音町はいろいろな意味で普通の日本とは違います。とはいえ、大切な孫がプレゼントし、かつ現金が入っているものを「忘れ物」にすれば、目の前で喧嘩している少女二人が和解する、などと思う人間はいないでしょう。だいたい、この扱いは、孫に失礼です。
 和解させたいなら、何らかの助言を与えるほうが、よほど効率的です。一応、結果として「仲直り」したわけですが、これは毎回行われている「行事」です。実際、奏も「知っているから安心して喧嘩できる」などと、次週以降も喧嘩を続ける宣言をしていました。それを考えると、一日潰しての「成果」がこれでは意味がありません。
 他にも、人形が財布である事に気づいたら、いきなり泥棒と疑われるのをおそれ、音吉の前で変装した、というのも意味不明でした。さらに、その後、いきない音吉探索を忘れ、鍵盤のおもちゃで遊びだす、という二人の行動も支離滅裂です。
 これを見ると、「大切にしている孫がくれた人形を返してあげたい」という強い意図があったとは到底思えませんでした。
 あと、これまでにもあった事ですが、闘いの途中に動きを止めて、ネガトーンの目前で仲直りの会話を始める、というのは不自然すぎます。
 確かに過去のシリーズでも、闘いながらいさかいを解決する、というのはありました。しかしいずれも、闘いを止めずに会話が進んでいました。逆にそれゆえに面白い戦闘シーンになっていたわけです。それと比べると、より一層、不自然さが気になりました。
 7回も話が進んでいるにも関わらず、二人の関係は、喧嘩と仲直りを繰り返しているだけ、という感じでループしています。「喧嘩と和解によって友情が深まる」というのを主題にしたい、というのは分かります。とはいえ、実生活に置き換えれば分かることですが、いくら親しい仲だからと言って、意見が異なったら毎回喧嘩すればいい、というものではありません。それを抑えるのも友情の一部ではないでしょうか。
 実際、今回の冒頭でも、奏が気遣いながら響のミスを指摘したにも関わらず、それに響がつっかかって喧嘩になったため、練習時間が無駄になってしまいました。何でも喧嘩すればいい、というものではないと思うのですが・・・。
 第1・2話に続いてシリーズ構成の人が脚本を書いていました。率直に言って、このような「シリーズ構成」のまま、安直な喧嘩と表面的な「仲直り」が繰り返されるのか、と思うと、少々萎えます。東映や朝日放送は、今からでもシリーズ構成の見なおしや担当者の変更を検討したほうがいいのでは、とまで思いました。
 次回は、セイレーンが、響の親友になりすまそうとして学校に潜入する話とのことです。これで、変装したセイレーンが、響とのつきあいの中で、これまでにない発見をする、という話になれば、面白くなるかと思うのですが・・・。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です