Smile第22話

 ついに前半の山場を迎えました。前半で、プリキュアはジョーカーと闘いますが惨敗します。
 そのあまりの力の差に、五人は、このまま再挑戦しても、勝てないどころか、下手すれば命が危ないかも、と恐怖します。
 その恐怖にうちかち、再び闘いに挑もうとする五人を描いた話でした。

 前半部で気になったのは、まずメルヘンランドの閑散さとその理由でした。
 ポップによると、ピエーロ封印の代償でロイヤルクイーンが封じられて以来、やる気をなくし、引きこもったとのことでした。
 確かに主君がいなくなるのは辛いことです。とはいえ、それでやる気を無くし、困った問題は少年と幼女と異世界の少女に押し付けて引きこもる、というのはかなりアレな国民性だと思いました。
 その直後、ジョーカーが現れて闘いになりますが、歴然とした力の差がありました。相手の体に触れることすらできず、前回同様出した、五人同時の必殺技すらあっさりと跳ね返られます。
 そして、勝ち誇ったジョーカーは、五人を絶望的にさせる事を言ったあと、バッドエンドを発動し、五人からバッドエナジーを奪って去って行きました。

 そして後半、雨が降るなか、メルヘンランドの遺跡みたいなところに、五人とポップは佇んでいました。
 最初は、あかね・なおが普通に再戦を主張します。しかし、れいかは「ジョーカーに勝てるのでしょうか」と極めて冷静な意見を言います。さらに、ジョーカーの脅しに一番恐怖していた、やよいは「お母さんや友だちに会えなくなるかも」と、遠まわしに「殺される危険性」について語りました。
 前半の闘いでジョーカーに脅された時、やよいが一番恐怖におののく表情をしていました。随所で鋭い感受性を見せる彼女だけに、この時、一番「命の危険」を感じたのでしょう。
 それを聞いた、あかね・なおも、その危険性の事を意識し、黙ってしまいました。一方、真ん中で座っている、みゆきは最初から言葉を発しません。
 そして、皆の考えは、「キャンディの安全と自分たちの命の二択」をみたいなものになってしまいました。
 その会話に業を煮やしたポップは、「妹を救わねばならないでござる」などと激昂して涙を流し、一人で行くといいます。しかし、皆が止めようとすると、「今晩は月に一度の、メルヘンランドからバッドエンド王国に行ける日でござる」などと言い、夜までに行くか逃げるかを決めろ、と言いました。
 どうせ夜にならないとバッドエンド王国には行けない、という事を知っていたわけです。ならば最初の激情はブラフだった、という事になってしまうのでは、と思いました。

 ここで、それまで押し黙っていた、みゆきが初めて口を開きます。そして、「わたし、よく分からない。でも、これはとても大切な事だと思う。自分にとって何が一番大切なのか」と言いました。
 それを聞いた、れいかは、これまでの話の流れで、「それは、全てを捨ててキャンディを助けるか、それとも家族や友人を取るか、という事ですか?」と尋ねます。しかし、みゆきは「それとも、違うと思う」と言いながら、明確な答えは出せませんでした。
 そして、これは一人一人が考えなければいけないこと、という結論になります。そこで、五人は一度解散し、それぞれ一人になって、どうするかを考えます。
 みゆきと、やよいは、プリキュアになってからの楽しかった事・自分の成長を思い出し、その結果として、皆と闘う事を決意したようでした。
 一方、あかねと、なおは、「いろいろ考えても仕方ない、やはりキャンディを助けたい」という感じで意思を決めている感じでした。
 そして、れいかは、一番論理的に考えており、「プリキュアとして守るものはたくさんあります。ですが、プリキュアとしてではない、私が今守りたいもの・・・それは」と言い、キャンディの事を思い出して決意を固めていました。
 ちなみに、この五人が悩む場面で、なおの髪は風に揺らいでおり、れいかは水辺で考えていました。このあたりの描きかたは、細かくかつ巧いと思いました。
 四人が約束の丘に登ると、そこには、既に、みゆきがいました。駆け寄る四人に対し、みゆきはいきなり謝ります。
 そして「わたしね、結局、何が一番大切なのかよく分からなかった。でも、一つだけわかった事があった。わたし、キャンディが大好き。でも、家族も皆も大好き。だからいっしょにいたい。それがわたしのウルトラハッピーだから」と言いました。
 すると、あかねは「『わたしたち』やろ」と言って手を差し伸べます。そして、五人で手を合わせ、改めて闘う意思を固めました。
 一方、そのころバッドエンド王国では、ジョーカーによるピエーロ復活の儀式が行われる、という所で話は終わりました。

 話の主題は、ジョーカーに惨敗した後だったと思います。
 特に、やよいの発言がきっかけで、「死の恐怖」について考えた、というのは印象に残りました。
 これまでのシリーズでも、最終決戦において「地球の全てが滅びた」とか「家族を含めた殆どの人が仮死状態になった」などという描写はありました。しかしながら、そうなった際に、どのプリキュアも「ラスボスを倒して元に戻す」という発想はあっても、「その敵に自分たちが殺されるかもしれない」という会話はなされませんでした。
 そのような現実的な恐怖と向き合わせる、というのは興味深いと思いました。
 また、その問題に五人がそれぞれ悩みます。そして導き出した結論は同じなのですが、そこに至る過程が、それぞれ違った、というのも、それぞれの違いを描いており、上手いと思いました。
 そして、最後に五人が手を合わせて、決意を固める描写も、印象に残りました。
 他にも、この後半部分では、色々と旨さを感じさせる場面が多々あり、視覚的にも大変楽しめました。
 その一方で、この主題そのものに疑問を感じなくもありませんでした。それについては、やや脱線気味な話になりますので、別にまとめます。興味のある方は目を通してみて下さい。
 次回は、バッドエンド王国に乗り込んでの決戦と、プリキュア二段変身登場話のようです。
 「プリンセスフォーム」お披露目が中心となるのか、そこに至る過程が中心となるのか、気になるところです。

 追記※ここから先は、かなりマニアックなことを書いています。さらに、プリキュアとは分野も対象視聴者も全く違う作品を持ちだして比較したりもしています。そういうのが苦手な方は、以下は読まない事をお勧めします。
 後半の主題を改めて書くと、「ジョーカーとの圧倒的な力の差を思い知らせれた五人が、『命を捨ててもキャンディを助けるか』それとも『家族や友だちとの生活を守るためにも、キャンディを見捨てて逃げるか』と悩む」という事です。
 その悩んだ結果は、「それを二択にする事自体がおかしい。キャンディを助け、闘いにも勝利し、生活も守る」というものでした。
 この発想の転換自体は上手いと思いました。特に今の世の中、本来、二択にすべきでない事を、必然的な二択と偽って、どちらかを選ばせる、という手法がよく使われます。それに対し、「二択という前提を疑う」という解決法を提示した、というのは面白いと思いました。
 ただ一方で、その解決法を導き出した前提として「自分たちはプリキュアだから死ぬ事はもちろん、最終的には負ける事もありえない」というのがあった、というのは否めなかったと思います。
 たとえば、仮にジョーカーとの闘いで、誰かが大怪我などをしていた場合、同様の結論が導かれたでしょうか。
 もちろん、それに問題があるわけではありません。それがプリキュアの世界だという事は、7年以上見続けていて十二分に理解しています。
 逆に、それゆえに、ならば遠まわしとはいえ「命の危険」を持ちだして、五人に悩ませたのだろうか、という疑問に持ちました。
 本文でも書いたように、「命の危険」というものと向き合った事は画期的だとは思います。ただ一方で、これは「プリキュア」シリーズにおいて扱うべき題材だったかと言うと、そうは思いません。
 そして、この主題について考えた時に思い出したのが、「魔法少女まどか☆マギカ」でした。
 あの作品は、第3話の途中までは、「プリキュア」同様の「中学生の女の子が、日常生活を送りつつ、不思議な力で悪を倒す」という話でした。
 しかし、その3話のラスト近くで、「マミられる」という事態が発生し、視聴者はそこで初めて、この作品は前提からして、全く異なっていた、という事に気づく仕掛けになっています。
 ちょうど、その直後に、今回と同じように「闘うか、家族との生活を守るべきか」という二択が少女たちにつきつけられます。
 その結果、まどかは闘いから逃げます。一方で、さやかは闘いながらも大切な物を守れると思って契約し、悲劇へ向かって一直線に進む破目になったわけです。
 もちろん、これは「まどマギ」だからこうなったわけで、もし「プリキュア」だったら、二人とも闘いの道を選びつつ、家族の生活を守れていたでしょう。
 その観点から、丘の上で皆を待っていた、みゆきの台詞を聞くと、別の意味で印象に残ります。「何が大切か」と自ら問題提起したはずなのに、「結局、何が一番大切なのかよく分からなかった。」と言い、それで本人も皆も納得します。
 一方で、さやかは絶望する直前に「いったい何が大切で、何を守ろうとしていたのかも、わけがわからなくなっちゃった」と言っていました。
 同じように「何が大切なのかわからない」状態なのですが、みゆきは希望にあふれており、さやかは絶望したわけです。
 もちろん。この違いは、作品の根本が相違から生じるものです。言うまでも無いことですが、当然ながら、「だから『まどマギ』は深く描かれているが、『スマイルプリキュア』は浅い」などと比較する気は毛頭ありません。そのような観点で両作を比較する事自体が無意味です。
 ただ、「ヒロインに死も真の絶望も無いことが大前提」である本作品において、「死への恐怖」を論点にする事には疑問を感じたわけです。
 また、偶然かなのかもしれませんが、今回は「まどマギ」と通じる描写があると感じました。たとえば、行き詰まって「こんなの聞いてへん」と、あかねが言った時は、「ここでポップでなく、キュウべえがいたら『認識の違いによる判断ミスをしたとき、人間は他者を憎悪するんだよね。理解できないよ』と言うだろうな、などと思ってしまいました。
 そういう事もあり、ついつい延々と書いてしまいました。
 ただ、妥当性はともかく、「死の恐怖」を題材にしたことは興味深いことでしたし、それに悩む五人の描写は巧いと思いました。そして、後半においての視覚的描写が極めて優れていた、という本文での感想には何ら変わりはありません。

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