DokiDoki第26話

 幼少時からの「母親と同じ医者になりたい」という自分の目標に疑問を持った六花と、事故で記憶を失ったイーラが交流するという、異色の話でした。
 六花の優しさ、心の温かさが随所に描かれていた話でした。
 また、イーラの意外な一面を見ることができた話でもありました。
 一方で、筋立ての根本的な部分における違和感があった部分もありました。

 今回、一番印象に残ったのは、イーラの記憶が戻った時の六花の反応でした。
 一瞬、イーラが記憶を取り戻した事に戸惑ったものの、すぐに満面の笑顔で「良かった」と言っていました。
 それによって、せっかくの楽しかったイーラと共有した時間は戻ってこなくなるわけです。さらに、イーラが敵側に戻ることは辛い事です。
 にも関わらず、自分にとってでなく、イーラにとって一番幸せな結果を見て、心から喜んだ、という六花の描き方は、凄いと思いました。
 また、その意外な六花の反応に対し、記憶を取り戻したイーラが、攻撃するふりをして六花たちを助ける、という形で応えた、という描写も印象に残りました。

 他にも、海辺やイーラを看病する際の六花の描写は、どれも丁寧に描かれていると思いました。
 海辺での場面で、風で髪が顔にかかったのを払った仕草や、裸足で海岸を歩いている時の後ろ姿、さらにはその時に脱いだ靴など、細かいところまで、非常に上手く描かれていました。
 また、イーラに食事を作るときのエプロンがカエルをモチーフにしていた、というのも印象に残りました。
 この、六花の「カエル好き」という設定は、特に本人や周りの口から語られる事はありません。しかしながら、今回も含め、細かい所で常に描かれており、そのあたりの徹底ぶりにも感心させられました。
 あと、そのイーラに振舞ったのが、「ぶたのしっぽ」で慣れ親しんだオムライスだった、というのも興味深いところでした。
 また、記憶を失ったイーラの性格描写も気になりました。やはり、これはレジーナ同様、「根はいい人だが、キングジコチューに『悪の心』を植え付けられた」という終盤に向けての布石なのだろうか、と思いました。

 このように、各所の描写が非常に面白かった話でした。ただ、筋立てについては、強い違和感と、かなり引っかかった描写が一つづつありました。
 今回の話は、六花が「幼少時から持ち続けた医者になりたいという夢は、単に母親に憧れただけではないか」と自問する所から始まります。
 しかしながら、なぜそのように思うに至ったか全然描かれておらず、強い違和感がありました。
 医者になる夢を持った描写があった14話まで見返したのですが、その「夢への疑問」に通じる六花の言動・思考描写はどこにもありませんでした。
 今回の話は、「六花とイーラの交流」と「エースに導かれて各プリキュア成長」といういう二つの主題から話を作っていったような感じでした。それに伴い、何の脈絡もなく、「子どもからの夢に疑問を持った六花」が唐突に現れた、という印象が拭えませんでした。

 あと、今回の話において、六花とマナの位置関係がかなり引っかかりました。
 イーラを助けた六花は、マナを含め、その事を誰にも伝えません。シャルルとランスが来なかったら、そのまま一人で抱えていたような感じでした。
 どう考えても一人では手に余る「落し物」だと思うのです。にも関わらず、なぜ一番の親友であり、すぐそこに住んでいるマナにすら伝えないのだろうか、と不思議に思いました。
 一方、マナのほうも、キュアエースに糾弾された六花を積極的に助けようとはしません。最終的には他の二人同様、六花の側につきましたが、そこでも一言も発しませんでした。
 第14話で、過剰なまでに六花の心配をしたのと、かなり対照的でした。
 あと、甘味屋の帰りの公園での会話においても、これまで描かれた二人の会話とは異なる「距離感」が描かれており、気になりました。
 これは、レジーナの件などがきっかけで、二人の位置関係に変化が生じたから、という事を表しているのでしょうか。
 まあ、単に「六花回」だから、マナの描写まで作り手の気が回らなかった、という可能性も考えられるのですが・・・。

 というわけで、各場面での描写はかなり楽しめた一方で、いろいろと気になる点もあった話でした。
 次回は、亜久里の弱点話です。7月の間は、たまに見せる食べ物へのこだわり以外は、人間らしい描写がありませんでした。
 やっとお披露目期間も終わり、普通のプリキュアとして描かれるようです。
 そこで、亜久里および「キュアエース」がどのような一面を見せるのか、楽しみです。

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