キングビョーゲン完全復活回でした。
それに伴い、敵三幹部に対する、三者三様の描写軸になった話でした。
これまで、毎回、敵幹部のやりとりが描かれていましたが、その逸話が非常にうまく活かされている事に感心した話でもありました。
まず、シンドイーネの描写から始まります。
宿主から出てきて初めてキングビョーゲンに出会って「一目惚れ」した回想が描かれていました。
それを思い出し、キングビョーゲンの死に涙します。この描写も非常に印象に残りました。
一方、「王」を称するグアイワルは、ダルイゼンとシンドイーネの二人を部下扱いしようとします。
しかし、二人は、その言動に文句を言いませんが、態度も言動も以前のままです。
過去のビョーゲンキングダムの描写で、グアイワルの奇妙な言動に対し、二人は常にこのような形でいなしていました。
それがここに繋がっている事に感心させられました。
また、シンドイーネにおいては、冒頭の描写の最後で、キングビョーゲンが生きている事並びに、その狙いを知ります。
それを隠してグアイワルを自滅に向かわせるために「尻を叩いた」わけですが、その際も、グアイワルに媚を売るような事はしない、というところに彼女のプライドとキングビョーゲンへの愛を感じました。
さて、グアイワルは、すこやか市に王城を造ろうとしていました。そして、「ぐ」と背中に書かれた法被を着て、口に釘をくわえて大工仕事をしています。
これまで様々な形で見せた「ズレっぷり」が最後まで貫かれていたこの描写も、大変印象に残りました。
そして、プリキュアと対峙し、勝利寸前までいき、「かばよ」という別れの言葉とともに、止めを刺そうとしたとき、キングビョーゲンが肉体を乗っ取り、完全復活を遂げました。
かつて、「キングビョーゲンといってもナノビョーゲンの集合体」などと言っていたグアイワルの肉体で復活する、というのも上手い設定だと思いました。
また、シンドイーネが「かばよ」の言い間違いを指摘したあと、歓喜します。そして、キングビョーゲンとグアイワルの格の違いについて、「月とスッポン」などの慣用句を並べて語るのですが、最後に「キングビョーゲンとナノビョーゲン」と言ったのも、「愛」が溢れていて感心させられました。
一方、プリキュアのほうですが、戦闘を除けば、今回は遅い時間に帰宅し、親に心配される、という描写のみでした。
しかし、その短い描写のなかで、三者三様で親が娘を心配し、愛していること、また、それに三人が応えるところが大変深く描かれており、本当に深い作品だと思いました。
復活したビョーゲンキングは、次にダルイゼンを吸収しようとします。
その時の話しかけ方が「今後についてだが、どうだ、我と一体にならぬか」という「選択肢のある提案のような口調での否定を認めない命令」だったのが印象に残りました。
悪質企業の経営者・管理職に通じるものがあり、まさに「ラスボス」だと思いました。
そしてかろうじて逃げ延びたダルイゼンが、隠れ場所として選んだのは、かつての宿主である花寺のどかでした。
拒否する花寺のどかのに対し、「あのとき、『自分だけよければいいの?』と言ったが、お前も同じだ」と言い、動揺させます。
その第6話のダルイゼンの言葉は「地球が蝕まれて住みよくなれば他人はどうでもいい」というもので、「ダルイゼンを受け入れ、再び自らの健康を奪われる」というリスクがある花寺のどかの意思と一緒にできるものではありません。
しかし、それが心に引っかかったまま、花寺のどかは逃げました。その時、は花寺のどかが逃げる先が異空間のように描かれており、そこで次回への引きとなりました。
この「異空間に向かって走る花寺のどか」を見た時、頭の中に、「魔法少女まどかマギカ」のエンディング曲が流れたものでした。
2月まで放映があるのに、1月の最初から「最終決戦」に入った時は、ちょっと残念に思ったものでした。
しかし、その「最終決戦」を使いながら、このような敵幹部を描ききった話を描き、しかも最後に、花寺のどかとダルイゼンの因縁の決着を示唆した事に、心底感心させられました。
次回、そのダルイゼンとの決着がどのようにつくのか、題名にある「のどかの選択」が何を意味するのか、非常に気になっており、楽しみにしています。